山本武の場合
「なあ獄寺、コレ、この問題意味わかんねぇ」 「それがわからねぇお前の頭がいみわからねぇよ。俺は」 「大体さー、公式とか覚えらんないし……」 「それは覚える気がないからだろうが」 「獄寺の意地悪」 「お前がアホなだけだっつうの」 放課後の教室。オレンジ色の光が差す窓のそばで、二人の声が響く。 小さな机にいくつも教科書をならべて、落書きだらけのノートを睨みつけるのは山本。それをさらに 睨むのが、獄寺だ。 「大体なんで俺がお前のために勉強教えてやらねぇといけないんだよ。畜生」 「まーまーいいじゃん」 「よくねぇだろ」 まったく……。とため息を落として、ついでとばかりに小言を幾つかならべるが、決して一人で帰ろ うとはしない。 ブツブツいいながらも教えてくれるし。時々笑ってくれるし。 それだけで十分だと、山本は思った。 (獄寺と一緒にいたいから補習受けるんだとかいったら、怒られるよな。確実に) クルクルと鉛筆を回しながら獄寺を見ると、「早くヤレ」と怒られる。 怒っててもいい。機嫌悪くても良い。 こうやって勉強を教えてくれる獄寺は、自分だけを見てくれている。 (いい加減、心せまいよな。俺も) いつからこんなに余裕がなくなったのか。答えは教科書の問題よりずっと簡単。 獄寺を好きになってから。
獄寺が笑っていたら良い。でも俺の前以外では、笑って欲しくない。 獄寺が幸せならば良い。でも、その幸せが俺の横以外なら壊してしまいたい。
だから山本は、二人きりで残れるこの放課後の時間が好きだった。 いつもはツナに真っ直ぐ向けられている視線が、自分を見ているから 「ほら、集中しろよ。おしえねぇぞ」 「んーゴメン」 獄寺の少しイラついた声に顔を上げると、思ったよりもずっと近くに獄寺の顔があった。 そして少しずつ。スローモーションみたいに近づいて、そっと唇に当たった。 「……ご、くでら?」 「集中しろよな」 「……ゴメ…」 分けがわからなくて呆然としているうちに、獄寺の耳が少しずつ赤くなっていく。 「……なあ獄寺。続きは?」 溜まらず聞くと、さっきよりもっと機嫌のよくない声で、 「お前がテストで補習うけなくなったらな」 と帰ってきた。 山本に俄然やる気がでたのは言うまでもなく。
もしかしてこんな補習を言い訳にしなくても、獄寺が自分だけを見てくれる日が来るのかもしれない。 そんな予感に胸を躍らせて、山本はもう一度鉛筆をクルクルと回した。
獄寺隼人の場合
山本武という男の一番は、野球だ。 口を開けば昨日の試合がどうの。フォームがどうの。明日の試合がどうの。 と、お前はそれ以外の言葉を知らないのかと思うほど野球ばかりだ。 まさかそれが獄寺と喋るきっかけが欲しいだけの山本の必死の話題作りだ。なんて思いもよらない獄 寺は、野球という言葉がでるたびに不機嫌になる。 (そんな野球ばっかりしてるから、補習なんてことになるんだよ。バーカ) 放課後の教室。山本の勉強をみる獄寺の不満はたかまるばかりだ。 (別に……) 勉強を見るのが、いやだというわけではない。 ツナと一緒に下校できないのは辛いが、山本の勉強をみるのも十代目からの頼みなので仕方が無い。 それに、こうやって二人でいるときは山本は自分だけをみている。 (お前はしらねぇんだろうな……。ま、知らなくていいけど) こんなに自分が山本を好きなことも。こうやって山本の補習の世話をするのが、嫌いじゃないことも。 山本は、知らなくていい。 「……おい、山本。手がとまってるぞ?」 何を考えているのか、下を向いたまま応えない。 (また、野球かよ) 腹がたった。 自分だって普段十代目のことばっかりだ。なんて、そんなこと棚に上げて。 どうやったって一瞬たりとも自分が山本の一番になれないのかと思ったら、悲しかった。 「ほら、集中しろよ。おしえねぇぞ」 「んーゴメン」 だからこれは、復讐。 ほんの、イタズラのつもりだった。キス近くまで、顔を近づけてびびらせてやるつもりだった。 なのに意思に反して体は動く。顔を上げた山本の唇に、ゆっくりと。まるでそれが引力だとでもいう ように、キスをした。 「……ご、くでら?」 信じられない。とばかりに名前を呼ぶ声で、われに返った。 「集中しろよな」 と慌ててつくろえば、 「……ゴメ…」 と返ってくる。 (謝るのは、俺だと思うんだけど) 考えれば考えるほど、恥ずかしいことをした気になって顔に血が上る。 きっと耳は真っ赤になっているだろう。 見られたくなくて下を向いていると、何が嬉しいのか山本の弾んだ声が聞こえた。 「……なあ獄寺。続きは?」 何だよ。続きって。 言葉が見つからなくて、わけがわからない。 仕掛けたのは自分なのに、流れがおかしくなっている。 「お前がテストで補習うけなくなったらな」 必死で返した言葉は、震えてはいなかっただろうか。 山本は相変わらず嬉しそうに笑っている。
今はまだすれ違う思いが伝わるのは、もう少し先のこと。
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