きと恋と愛のあいだ。 後編


 

 

   

 

          Y


 夜の教室は、少しひんやりとしていて冷たい。
 空気から床から全てが湿気を帯びているような気がして。
 ますます手を離したくなくなって、困ってしまう。
(謝らねぇとなぁ)
 ふと振り返って獄寺を見ると、目があう。月明かりと、足元を照らす電灯のあかりしか頼るもの
がないのに、目の色まではっきりと見えるような気がした。
「何してんだよ。早く用事すませやがれ」
 きつい口調で言ってくるのに、手を離そうとはしない。
「あの、それなんだけどな」
 その手に力を込めて、素直に謝ろうと決意を固めたとき。

「誰かいるのか?」

 声が聞こえた。

「当直だ!」
 とは小声で叫んで、山本は急いで獄寺の手を引っ張り教卓の下に隠れる。
「馬鹿! なんでこんなトコに隠れんだよ!」
「他に思いつかなかったんだから、しかたねぇだろ!」
 小さな声で言い合っているうちに、当直の教師の足音が近づいてくる。
 ガラリ。と、扉の開く音がする。自分たちが入ってきたのとは、逆の扉だろう。
(獄寺、心臓の音、大きい)
 中学生にしては大きな体格の二人が入るには、せますぎる空間。
 その中に体を押し込んでいるのだから、もはや二人の間に隙間はなく、体温も心臓の音もその
まま伝わってくる。
(当直に、ばれそうだから?)
 いや、獄寺は教師をおそれたりはしない。
(ならなんで、そんなどきどきしてるんだよ。獄寺)
 きっと自分もいま、すごく大きな音をたてて心臓が動いている。
 それと、同じ理由だろうか。
(俺は、お前がいるから、どきどきしてるよ、獄寺。なぁ、お前はなんで?)
 足音が近づく。
 獄寺が、まっすぐに自分を見つめる。
(好きだ)
 思ったときには、キスをしていた。
 すぐそこに大人がいるのに、何をやっているんだろう。とか、そんなこと考える余裕なんてない。
 獄寺が信じられないといった目で見つめる。
 そんなこと、構っている余裕なんてない。
(好きだ)
 あれほど名残おしかった手を離して、獄寺の背中に無理やり腕をまわして抱きしめる。
 一周教室を見回って、教師が出てゆく。
 それを見計らって、またキスをした。
「……ぁ、か、やろっ」
 罵倒しようと微かに開いた口から舌をねじ込んで、貪るように口づける。
「……っ、ふぁ」
 繋がれた口の間から、少し上ずった声と熱い息がもれて。
(駄目、だ)
 止まらない。
 山本はおもむろに右手を自由にすると、獄寺のシャツをめくる。そして現れた胸の飾りを、強く押
しつぶした。
「っ……ひぁ」
 思わず自分の口からこぼれた声に、信じられないといった顔で獄寺は顔をしかめる。
「こ、んなとこで……! はつじょ、するんじゃねぇ!」
 暗闇でもわかるほどの真っ赤な顔で、獄寺が叫ぶ。
「あんま大きな声出すと、また当直が戻ってくるって」
「お前が出させてんだろうが! 果てろ! ちくしょ、放せ!」
 狭い教卓の下で獄寺が暴れるので、お互い体のあちこちをぶつけてしまう。
 獄寺が這うようにそこから出て行こうとするので、慌ててその服の裾を掴み、黒板の下でまた絡み
合うように二人転んだ。
「放せ! 馬鹿やろ…っ」
「好きだ!」
 暴れる獄寺の言葉にかぶせるように思いを伝える。
 獄寺は少しなきそうな顔をして「卑怯だ」といった。

 

     G


 好き。といったなら、何をしても良いというわけではないと思う。
(だれか、こいつにそれを教えてやってくれ)
 殴り飛ばしたいような、泣きたいような、怒鳴り散らしたいような、そんな気分だ。
「ごくでら……」
 熱に浮かされた声で、名前を呼んでくる。
 耳に直接落とされるテノールは心地よくて、ついつい流されてしまう自分が悔しい。
(なにやってんだよ、俺)
 真夜中といえども、教室で。また朝が来て通わなければならない場所で。
 山本の指に犯されている。
 大きな手の平が、体を弄る。いつの間にかシャツは脱がされていて、申し訳程度片腕にかかってい
るだけだ。
「……っ、んっ」
 意地でも声だけは出すまいと必死唇をかむのに、見計らったようにキスを落としてくる山本が憎い。
 やがて指は下へとのびて、ズボンのベルトに手をかけた。
「……なに、しやが、る!」
「いれない。から。ゴメン」
 そういって消え入りそうな声で、また「好きだ」といった。
(ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!)
 ちょっと仏心をだして、学校までつきあったのはいけなかったのか。
 そのあとうっかり、手をつないでしまったのがいけなかったのか。
 それより、こんなにコイツを好きになりすぎてしまったのが、いけなかった。
 こんな無茶をされて、好きだなんて言葉で好きにされて、抵抗らしい抵抗ができないなんて、一体どう
いうことなのだろう。
 山本の指が、立ち上がりかけた獄寺自身に伸びてくる。何度かの行為で掴んだらしく、いいところを的
確についてくるのが悔しい。
「……んっ、く、そ、やろぉ!」
 腹立たしくて悔しくて泣きたくて好きすぎて、にらみつけた山本の顔は情けないぐらい必死だっだ。
(なんでだよ、なんでお前も、そんなに俺がすきなんだよっ!)
 こんな時間にこんな場所で、狂っている。
 そう思っても、もう止まらない。
 獄寺もまた山本のズボンに手をかけて、その中のものを握り締めた。
「ごく、でら?」
「っまえ、だけに、好きにさせてた、まるか!」
 きっと強くにらみつけたはずなのに、目じりから涙がこぼれて決まらない。
 悔しいので山本自身を強くすってやると、やはり少し上ずった声がもれて、いい気味だと思った。
(俺だって、お前が好きなんだよ、馬鹿野郎!)
 言葉にできない思いの代わりに、噛み付くようなキスをした。

 

 行為の代償に、一発。
 嘘の代償に、一発。

 きちんとお代を払わせて、月照らす夜道を歩く。
 来るときより少し乱れた衣服と、腫れた山本の横顔を街頭の明かりが映し出した。
「あんなところで、あんなことして申し訳ありませんでした」
 もう何度目かの言葉を、情けない声で山本が呟く。
 獄寺はそれを無視して、一歩前を歩く。
「それと、くだらない嘘ついてすみませんでした」
 これも、何度目かの言葉。
 しょんぼりと肩を落として情けない顔と声で、同じ言葉を繰り返す。
(反省したって、許してやるか! ボケ)
 思い出すと余計に腹が立ってきて、もう一発殴ってやるかと振り返った。
「ほんとに、ゴメン。でも俺、お前が好きすぎて、どうしていいのかわかんねぇよ」
 そんなの、自分だって同じだ。
(必死すぎて、笑える)
 お前も、自分も。
 いつか別れる日がくるのかもしれない。
 いつかこんな恋があったと、懐かしく思い出す日がくるのかもしれない。
(俺も、好きだ。山本)
 この思いが恋なのか、愛なのか。
 わからないけど。
 刹那なのか、永遠なのか。
 わからないけど。
「ごくでら?」
 黙りこんだ獄寺に、答えを求めるように山本が名前を呼ぶ。
 それには答えず、振りかざすために上げた手の平を真っ直ぐ山本に向かったのばした。
(お前のついた嘘はくだらなかったけど、俺に会いたいと思った気持ちは、くだらなくなんて、なかったんだろう)
 そんなこと、絶対言葉にはしてやらないけど。

 

 山本の手のひらが、獄寺の手のひらに重なる。
 許す言葉の代わりに、その手を強く握りしめた。

 

 

中学生の二人は、お互いに対してものすごく必死で、とても
格好悪い恋愛をしていればいいなぁとか思います。
仕事中に学校の横を通って、ああ夜の学校で山本と獄寺が
いろいろやってたら萌えるなあとか考えたらとまらなくなりました。
ほんと、真面目仕事しろよ、自分。