あいだ
そして目が覚めると、そこにはいつもの朝があった。
あれほど泣いて腫らした目も元通りだし、枯れたはずの喉からも水を求める声がした。 いつも通り。元通り。 何も変わらない、朝。
(あれから、三日か……)
思い出せばまだ胸がいたむ三日前。獄寺と別れた。
それは何度も繰り返した喧嘩別れなどではなく、正真正銘の、海を挟んだ別れで。
もう一年も前から覚悟していたことだけど、高校を卒業すると同時に獄寺はイタリアに帰った。わかっていたけど、認めたくなくて信じたくなくて、辛くて苦しくて、それでも笑って見送りたくて。格好つけたかったけど、つけれなくて。泣きながら別れた。
愛の何たるかなんてそんなことはわからないけど、確かに獄寺が山本にとっての全てだったから。ああもう、きっともう二度と自分は笑えないのだろうとそんなことを漠然と思った。
獄寺が飛び立ってからは本当に辛くて。泣くものかと思った先から涙があふれて、心配したつよしが好物のネタの寿司ばかりを握ってくれたけれど流石に喉を通らなかった。
けれども一日すぎて二日すぎ。 三日目には、いつもの朝がやってきた。
さすがにいつまでも寝込んでいるわけにはいかないから、店の手伝いにでればいやでも愛想笑いもするし。動き出せば体は野球をしたいと叫びだして、仕方無しにバッティングセンターにいけば調子も悪くない。
野球は楽しい。獄寺がいなくても。 時間は流れる。獄寺がいなくても、
少しずつ、獄寺のことを考える時間は少なくなっていく。それと比例して、あれほど鮮明に覚えていた顔も声も、ぬくもりも、段々と薄れていくのだ。
やがて山本は大学に入った。
元来人には好かれるほうだから、友達はすぐにできたし、好きだといってくれる女の子もあとを絶たない。
中には可愛らしいと感じる子もいて、最初は獄寺が好きだからと断っていたけれど、すこしそれにも疲れてきた。
もはや顔も正確に思い出せない相手に操をまもるのは、ただの自己満足ではないだろうか。獄寺を好きだといっている自分を守っているようなきがしてならなくて。
女の子と付き合ったのは、別れて半年ほどしたころ。夏の終わりだった。
二度と笑えないはずの自分は声をあげて笑って、枯れたとおもったはずの涙は感動的なビデオで簡単に流れて。
そんなものかと自身に問えば、そんなものさと返ってきた。
やがて季節はめぐって、冬。
「あ……雪」
そう声をあげたのは誰だったか。
本当だ、と笑っているうちに降り積もって。その上に足跡をつけて走り回れば周りの友達が子供か、と笑った。
そうだ、前にもこんなことがあった。
雪が降り積もったのが嬉しくて獄寺の手をひいて「外にいこう」といえば、思い切り嫌そうな顔をしながらも付き合ってくれて。
足跡をつけながら走り回れば「ガキ」と笑ったのだ。呆れているかとおもって顔をのぞきこめば、キスをされた。冷たい唇のあいだから熱が生まれて、我慢できずにだきしめると雪の上に突き飛ばされた。
「アホか!」 「獄寺が先にキスしたんじゃん!」 「うるせえ!」 「……なあ獄寺」
「あんだよ」 「来年の……」
雪も一緒にみたいな。
「山本?」
ふと友人に声をかけられて我にかえったときには、つけたはずの足跡は雪のせいで消えてしまっていた。
「なんかあったのか?」 「え?」 「泣いてるだろ」
冗談じゃないと思った。
(せっかく忘れたはずだったのに)
相変わらず顔はすこしぼやけて声もうまく思い出せない。 けれど。
あれほど好きだと思ったその気持ちだけは、薄れないのだ。
頭が忘れても、心が覚えている。獄寺を前にしたときの、愛しさや、せつなさ。胸が締め付けられるように甘く痛んで、息苦しくなる感じ。
体は熱いのに指先が冷たくなって、触れたいのに大事にしたくて上手く抱きしめられなかった。
そうだ、初めて好きだと告げたのもこんな雪の降る日だった。
ああきっと、ゆきがふるたびにおもいだすのだろう。 きっとなんねんたっても。
顔が思い出せなくても、声が思い出せなくても。 そのたびにあの時の記憶がうかんできて。
やっぱりお前が一番すきだよと、そのたびに確信するのだろう。
すきだ。すきだ。ごくでらが、すきだ。 例えようも無く、堪えようも無く。 ただ、すきだ。
そんなのは、受け入れられない。
もう会えない相手をずっとに思って生きていくなんて、自分には出来ない。 だから。 考えるより先に、体が動いていた。
会いたい、獄寺に。 獄寺のもとにいけば、また昔のときが戻ってくるわけじゃない。昔の仲間にあえば、あの時間が戻ってくるわけじゃない。
そんなことは百も承知だけど。 今はただ獄寺に会いたかった。 そして、言うのだ。
来年の雪も、一緒にみような。
と。 |