わたしだけのあなた
「もういい、獄寺とは口ききたくねえ」
言ってしまってから、しまったと思った。 売り言葉に買い言葉。野球のことになるとついカッとなってしまうのが俺のわるいくせで。 喧嘩の原因は間違いなく俺だというのに。
ごめん獄寺。
心のなかでは平謝りだけど、ぴりぴりとした空気が簡単に言葉にさせてくれない。 ああ獄寺の視線が痛い。 百の言葉よりきつく責め立てるその冷たい眼差しが俺の罪悪感に塩をぬる。
確かに悪いのは俺だった。野球の練習に熱中しすぎて獄寺を待たせていることをすっかり忘れていたんだから。 だけど今日は甲子園にでる卒業生の先輩がコーチにきていて、熱心に教えてくれたり目をかけてくれたり誉められたりしていて、俺にとってはすごく特別な日で。 だからといって獄寺をおいてその先輩とバッティングセンターにいった言い訳にはならないけれど。 思い出してあわてて学校に戻ったときには星がでていた。当然もう獄寺はいなくて、部屋に押し掛けたら散々あほめばかめと罵倒された。 ひたすら謝っていた俺だけれど、野球を馬鹿にされた瞬間つい言い返してしまって、なんだかなしくずしに言い合いになって今にいたる。
どう考えても悪いのは俺なのに、あのセリフはないだろう。 そっと伺うように獄寺をみる。ごめんごめんごめん。 ああどうやって謝ろうかと思っていたら、ふと獄寺の視線が動いた。 そして胸をはってふんぞり返り、アゴをつんと上に向けて俺を見下し、きわめつけに「はっ」と鼻で笑う。 そして、
「てめーにできんのかよ」
といった。
「へ?」
間抜けな声で聞き返すと、
「お前に俺と口きかないとかできんのかってんだよ」
もう一度同じ答えが返ってくる。
「俺は別にお前と口きかなくてもどうってことねーんだよ。喋りたくないんなら、勝手にすればいいだろ」
可愛くない。 思わずムッとした。 あーそうか、そうだよな。どうせお前は俺のことなんてどうでもいいんだろ。 付き合ってから好きだっていうのもキスするのもえっちしたいっていうのも全部俺からだもんな。
口を開けばツナツナツナで、お前の彼氏は俺なんだよ。なんか悔しい。
俺ばっかり獄寺を好きでずるいと思う。 その気になればお前よりずっと俺のこと好きっていって大切にしてくれる女の子もいるんだぜ? 別にお前じゃなくてもいいんだ、俺だって。
「俺だって獄寺と口きかなくたって平気にきまってるだろ」
自分でも思った以上に大きい声がでてびっくりした。獄寺も同じだったようで、すこしだけ目を見開いてから眉間に皺をよせて俺をにらむ。
「あーそうかよ! じゃあもう金輪際俺に話し掛けんな! 絶交だっ」
いうなり部屋から追い出されてしまった。しょうがないけど。
そうさ、別に獄寺と口きかなくても全然へーきだ。
最後の「絶交だ」という獄寺が可愛かったなーと思うあたり、先がおもいやられるけれど。
**
獄寺と喧嘩をして七日目。
「お前最近獄寺とつるんでないよな」
昼めしどき。同じ野球部のクラスメートが思い出したようにいった。 イライラしないように牛乳をのんでいた俺は、出てきた名前に動揺して思わずパックがへこむまで一気にすってしまった。 いま俺にその名前を聞かせないでほしい。
「……あぁ」
わざと気のないふりで返事を返すのに、
「でもあいつ、最近やけに人気あるよな」
さらに俺を追い詰めてくる。 ああわかってる。わかってるからもう放っておいてくれ。
獄寺と行動を別にするようになって、いかにいつも一緒にいたのかということに気が付いた。 でもそのことに俺達が気付くより早く、まわりが気付いたようで。
『ほら、いつも二人でいるから話し掛けにくくて』
と言いながらクラスの女子達が近寄ってくるようになった。一緒にはたいがいツナもいたんだけど、そんなに獄寺とセットのイメージがあるんだろうか。いやいや、それより。
最初は気分がよかった。正直。 ほらみたことか、獄寺隼人。俺はお前がいなくても全然さみしくねーし。口きかなくても平気なんだぜ? わざと話し掛けてくる女の子達を歓迎したのは、それを見せ付けたかったのが二割。嫉妬してほしかったのが、八割。 そう思っていたのに。
「ほら、獄寺っていつもツナやお前といるからさ、なんか話し掛けにくかったけど、意外と話してみたらいい奴なんだよな」
デリカシーのかけらもない友人をもつと辛い。 また俺はずどんと落ち込む。
そうなのだ。一人でいるために話し掛けやすいのは俺だけじゃない。獄寺もまたしかりなのだ。(といっても獄寺のそばにはたいていツナもいるのだけど) しかも獄寺の場合は女子だけでなく、男からも人気がある。
思春期ざかりの俺たち中学生。不良ぽくて強くてかっこよい仲間に憧れを抱くものらしい。
「こないだもさ、獄寺に話し掛けたらタバコの煙がこないように立ち位置かえてくれたりしたんだぜ? なんかいいよなー」
腹が立つ。 何なんだよ、お前が獄寺の何を知っているんだ。 獄寺のかっこいいところを知っているのは俺だけでいいのに。
「んでツナのこと誉めたら自分のことみたいよろこんでさ。うれしいときちょっと顔赤くなるんだよな、かわいい」
違うよ、一番赤いのは耳なんだぜ。キスしたら目尻まで真っ赤になるんだ。 といってやりたい。なんだよ、獄寺を一番知ってるのは俺なのに。俺だけでいいのに。 ていうかカワイイとかいうな。獄寺にカワイイとかいっていいのは俺だけなんだ。
「もっと話してみたいなー」
あんまり近づいたら俺お前を半殺しぐらいにはしちゃうかもよ。なんて考えてため息がでた。
なんて子供っぽい独占欲。 獄寺に誰も近づかないでほしい。遠くにいかないで、獄寺。
**
そして十日もたつ頃には俺はふらふらになっていた。もう限界だ。 だいたいこんなに長い間獄寺と喋らなかったのは初めてで、その後ろ姿を見るだけで胸がきゅーっと苦しくなる。 獄寺の声がききたい。名前を呼んで欲しい。触りたい。キスしたい、えっちしたい。 禁断症状ってこういう事を言うんだろうか。獄寺の幻覚がみえる気がする。もちろん夢にもでてくるし、その夢の中では優しく笑ってくれたり俺を甘やかしてキスしてくれたりするから、目がさめたときには涙がでそうになるんだ。
「いい加減仲直りしたらいいのに」
休み時間。 ぐうの音もでないほど落ち込んで机に突っ伏していた俺のもとにツナがやってきて、そんなことをいう。
仲直り、したいですとも。 でも目はあわないしもちろん口はきいてくれないし。仲直りのしようがない。
「でも最近、獄寺くんみんなに打ち解けてるよね」
そして俺の牛乳の量は増えてるよ。確実に。そのうち腹壊しそうだ。 でもそんだけカルシウムとったって、とうていイライラは納まらない。
俺がこんなに落ち込んでいるのは獄寺と喋れないからだけじゃなくて、いつのまにか俺だけの獄寺がみんなの獄寺になっているからだった。 正直おれは油断していたのだ。獄寺はツナや俺いがいと殆ど喋らないし当然なついたりもしないから、少しぐらい離れていたって絶対戻れるって信じていた。
それで、このざま。 俺がいなくても獄寺は笑う。俺は獄寺といれなくて夢にまでみるというのに、獄寺はむしろ楽しそうじゃないか。 もしかしてこのまま、俺のもとには帰ってきてくれないのかもしれない。
自業自得だけど、涙がにじむ。 できるならいますぐ教卓のうえに駆け上がって「俺の獄寺にさわるんじゃねー」とかいってしまいたい。
端から見ているかぎりでは、取り巻きがふえただけで獄寺自身の態度はそれほどかわっていない。と、思いたい。 これがもし獄寺から話し掛けたり笑いかけたり触ったりしたら、それこそ嫉妬で狂ってしまいそうだ。
「いい感じだね、獄寺くん」
そういってツナが笑う。ああ俺ってなんて小さなヤツ。
獄寺が皆と仲良くするのは、いいことなのに。わかっているのに。 「よかったなごくでら」なんて心にもないことをいってみたところで、胸の痛みは強くなるだけだった。
**
その日の部活でホームランを打った。白球が気持ち良く弧を描いて光にとける。気持ちいい当たりだった。なのに全然気分が晴れない。例の甲子園にでる先輩がきて色々いってくれたけど、心ここにあらずで。 俺の心と体の健康は野球が守ってくれているはずだったのに。 ホームランを打って嬉しいのも認められて嬉しいのも獄寺がそばにいてこそだったんだ、なんてことにいまさら気が付いた。
謝ろう。
許してくんなくても、笑ってくれるまで謝って謝って謝り倒そう。
どうやって謝ろうか。どう謝ったら許してくれる? 笑って欲しい、俺に俺だけに。
そんなことを考えるために一人居残って素振りをしていたら、溶けてなくなりかけた太陽に照らされた細く長い影が俺のそれにかさなった。
「おまえ、ほんとうに野球が好きだよな」
その影の先にたっていたのは夢にまで見た恋人。グラウンドに繋がる階段にたって、じっと俺をみつめている。 十日ぶりに俺にむけられた声は、ほんの少し切なそうだった。
「ごくでら……」 「おまえ、本当は野球があればほかには何もいらないんだろ」
その表情は逆光に照らされてよくみえない。ただその言葉は獄寺にしてはあまりにも弱々しくてらしくなくて、また幻聴を聞いているのかと思ったら近寄ることさえできなかった。
「野球したら俺のことなんか忘れちまうんだもんな、おまえ。俺がどんな気持ちでまってたとか考えたのかよ。恨み言の一つでもいいたくなるのは普通だろうが。それなのにたった一言けなしただけで、もう俺のことどうでもよくなっちまうんだよな」
一歩、獄寺に近づく。風が吹けばかき消されてしまいそうなほどその言葉は小さくて、でもその一欠片もも聞き逃すわけにはいかなかった。
「もう、別れたいのか?」
だんだんと。夕日が校舎の裏に消えて、獄寺の表情がみえてくる。 眉をきゅっと真ん中によせて、目線は俺の顔の少し下へ。唇は、少し震えているようだった。
「ごくでら」 「寄るな」 「獄寺、俺……」 「寄るなっていってんだろ」
でも体が震えているから。 一歩一歩動かす足を徐々に早くして、獄寺に近づく。そっと両手をのばしてその肩を引き寄せた。 獄寺は、逃げない。
「ごめん」 「……ばかやろう」 「うん、ごめん。ごめん、ごめん。獄寺、本当にごめん」 「おまえなんか野球と付き合えばいいんだ」 「ごめん。だから、別れるなんていわないで」
ぎゅっと抱きしめると、その肩が震えている。 ほんとうにごめん獄寺。
「気付いたんだ。俺、獄寺がいるから楽しいんだって。ホームラン打ってもレギュラーとっても獄寺がいてわらってくれないと意味ないんだって」
そうさ。 俺を好きだっていってくれる女の子はたくさんいて、大切にしてくれる女の子もたくさんいるだろうけど。 俺がこんなに大好きだと思えるのは、世界中探しても獄寺ただひとりなんだって。 つまらない嫉妬をしたりするのも、おまえだけ。
「俺は、おまえがいないと生きていけないよ」 「うそつけ、おまえはずいぶん楽しそうだったじゃねぇか」 「それは獄寺のほうだろ」 「はあ?」 「いっぱい友達できたみてえじゃん」 「ああ、なんかやたら話しかけてくるけど別にうざいだけだし」 「俺は?」 「なんだよさっきから」 「俺はうざい?」
少し体をはなしてきくと、獄寺は少し顔をそらした。
「別に。話しかけてこないほうが、うざい」
ほら、一番赤いのは耳。
神様に誓います。 もう絶対野球のせいで獄寺に寂しいおもいとかさせないし(たぶん)、口きかないなんて二度と言わないから(絶対)。
どうかいつまでもいつまでも、獄寺にとってのこの特別が俺だけでありますように。 |