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中編
太陽がオレンジ色に溶けて空を染め、余った光が窓から差し込んで真っ白の病室を染める。
なんでまた、ここに来ちまうかな。オレ。
部屋は静まり返っている。当の山本はベッドの上で呑気に寝ていて、正直オレはほっとしていた。 なるべく足音をたてないようにそっと歩いて、奴に近づく。 頼む、起きるな。気付くな。目を開けるな。 呪文のように繰り返しながら山本のそばまで来ると、心臓の音でバカが起きてしまうんじゃないかというぐらい緊張しているのに気付いた。 残暑が厳しい、九月。病室は涼しいはずなのに、山本の額には汗が浮かんでいる。
嫌な夢でも見てるのか? いや、子供みたいに体温の高いやつだし、純粋に暑いのかも。 そういえば、よくオレの手が冷たくて気持ちいいって、言ってたっけ。 部活の後。バカみたいにすり寄ってきては、オレの手をつかんでそう言っていた。 いま思えばオレに触れる口実だったんだろうけど。 あ、やばい。思い出したら、泣けてきた。違う、コレは悲しくて泣いてるんじゃなくて、腹が立ってるんだ。オレは。
「やきゅうばか」
そっと囁くが、反応はない。 汗でへばりついた額の前髪をすくって、そのまま髪をなでる。この髪が、意外に柔らかいの、オレ知ってるんだぜ。 でももう、オレが知ってること、お前は知らないんだよな。 どうしようもなく、胸が苦しい。 二人の関係は、確かにあったのに。それも記憶が消えてしまえば、なかったことになってしまうのか。 医者は記憶はすぐ戻るといっていたけど、それだってどこまで本当なのか。 「早く、思い出せよ」
山本のやわらかな頬に触れて、撫でた。そしてそのまま、キスをした。 それは上唇が触れ合うだけの、キスともいえないものだったけれど、すぐに後悔した。 顔を上げた瞬間に、大きく見開かれた山本の目と視線があってしまったからである。
「ってめ、起きて……」 「……あー。えっと、獄寺さん、だっけ?」
山本は心から困ったという表情をして、首をかしげた。 ただ聞いたこともないぐらい他人行儀な声音に、不覚にも膝が震える。
「わりぃけど、オレそういう趣味、ねーし」 「……は?」 「あー、それと前も言ったと思うけど、オレなんかあんたのこと気持ちわりぃんだよな」 「……やま」 「いや、というより『だから』気持ちわるかったのかな。ていうか、男に見つめられても嬉しくねーし、どいてくんね?」
ガタガタと。音をたてて崩れていくのがわかった。 何がか、何てわからない。ただ間違いなく、自分の中でそんな音がした。 というか、何てひどい奴なんだ、この男は。いくら嫌いな相手でも、そこまで言うことないだろう。お前を心配してきてやってるんじゃねえか、それをそこまで言わなくてもいいだろう。 この最低男、お前はそういう奴だよ。記憶がなけりゃ、遠慮もなくなるのか? ああそうか、わかった。お前なんてこっちから願い下げだ! 記憶がもどって後で泣きついてきてもしらねーからな! そうまくし立ててやりてぇのに、悔しいかな出来なかった。 言葉の代わりに、涙があふれて止まらなかったからだ。 好きになるんじゃなかった、こんな男。記憶を失ったら、感情まで捨てちまうようなこんな男、最低じゃねえか。 シャマルは『愛されてる』と言ったけど、コレは違うね。愛してるって気持ちが残ってたら、こんなこといえるわけがない。 何かはき捨ててやりたいのに、出てくるのは嗚咽ばかりでまるで言葉にならない。
「なに、泣いてんの?」
ああ、見たらわかるだろうが! このバカ! 全てが情けなくて、それでも何かいってやりたくて、オレは必死で言葉をしぼりだした。
「お前なんて、もうしらねーよ。バカ」
果てろ。となんとか言い捨てて、オレは病室を出ることに成功した。 苦しかった。たぶん、生きてきた中で一番というぐらい胸が苦しかった。 顔を見られないようにうつむいているから涙がまたあふれて、どうしようもない。 それなのに。 心から会いたいと思う顔が今も一つしか思い浮かばない自分が、どうしようもなく情けなかった。
つづく |