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アイツと別れて、一年が過ぎた。
久しぶりの休暇にカレンダーをみたら、丁度別れたその日で。 だからといって、感傷的になったりはしないけれど。 悲しいとか、切ないとか、苦しいとか、未練とか。 そんなものは全てあの日、空港に置き去りにしてきたから。
「もう、一年か」
月日がたつのは早くて、早すぎて。全然実感がわかない。 つい昨日のことだったような気もするし、何年も昔だったような気もする。 時間の感覚なんて、そんなもんだろう。 窓際の椅子に腰掛けて煙草に火をつけると、紫煙が天井に向かって細くのびた。 目を閉じれば、今だって鮮明に思い出せる。 ほんの一年前まで、イタリアではなく、日本という国にいたこと。 こうやって煙草をすうとき、そっと傍らによりそう存在がいたこと。
『獄寺』
名前を呼ぶ、低い声。 『好きだ』
そういうお前の声がいつだって必死で、笑えたこと。
『行くな』
俺の選ぶ未来に、一度だって意見したことがなかったくせに。 最後の最後で、もう取り返しがつかないとわかっていて、それでも言わずにいられなかったのだろう、言葉。 その言葉だけで、俺は生きていけるだろうと思った。
楽しい思い出ばっかりじゃなかったのに。 喧嘩したことのほうが多かったのに、思い出というやつはこれだからいけない。
こんな日に暇をもて余すからいけない。余計なことばかり考えてしまう。 だって、この一年間ずっと忘れてきたのだ。 イタリアにきてからはずっと忙しくて、十代目の就任から始まってから、内部抗争とか、あといろいろ細かい行 事とか色々あって、本当に大変だった。 今だって、正直大変なときで。働きすぎだからといって、十代目が休みをくれたのだ。 そんなに思ってくれているボスに命を捧げるのに、ためらいなどない。 ない、はずだ。
「何してるんだろうぁ、今頃、あの馬鹿」
それなのに、こんな心の隙間に入り込んでくるのは、捨てたはずの笑顔で。 望みどおり、野球をしているのだろうか。 それとも挫折して寿司屋を手伝っているのだろうか。 それはそれでいい気味だ。
『俺も、マフィア、なろうかな』
意味もよくわかってないくせに、俺がイタリアに帰るといったとき、山本はそういった。 嘘でも言うなと俺が言うと、困ったように笑って「ゴメン」といった。 俺だって、連れてこれるものなら連れてきたかった。野球からも家族からもアイツを奪ってしまいたかった。 けれど、そんなこと出来るわけもなくて。 空港で、別れた。 見送りにくるなといったのに、ちゃっかり俺より早く空港に到着していた奴は、ペアリングなんかを用意していて、
『向こうについたら捨ててくれていいから。今だけ、つけてくれたらいいから』
なんて女々しいことを言って、自分も俺がいったら必ず捨てると約束させて、ペアリングをつけて柱の影でキスを した。
ふと昔を振り返っていた俺は、それを思い出して立ち上がった。煙草を窓枠でけして外に捨て、部屋の端に積み 上げてある荷物をあさった。 イタリアにきてから忙しくて、なかなか整理がつかないものが多い。その中から、まるでゴミみたいに転がっている 指輪を見つけて、俺はいまさら激しく後悔した。
馬鹿だ。俺は。 何故いまさら、こんなものを思い出した。 何故いまさら、こんなものを探してしまった。 忘れていればよかったのだ。 そうすれば……。
「そうすれば……」
こんな思いを、いまさらせずにすんだのに。 シルバーのリングにかかった埃を小指ですくう。止めろという警告に逆らって左の薬指にはめると、あの日と寸分く るわず、あるべき場所に収まった。 捨てようと、何度も思った。 でも、捨てられなかった。 捨てられるはずがないではないか。 あれほど……、あれほど、好きだったのだから。
「や、まもと」
すみません、十代目。俺は、嘘をついていました。 身も心もあなたに忠誠を誓い、命をささげることを誓いましたが、俺の心は、今なおあいつのモノのようです。 俺が死ぬ瞬間に思い出すのは、きっと……。
「やまもと」
涙がこぼれた。 ここ一年、どんなに辛くても泣くことなんてなかったのに。心の均衡は、こんなことで容易く崩れてしまう。 休みなんていらないのだ。 働いていれば、思い出さずにすむ。 思い出さなければ、忘れたと思いこませられるのに。 流れた涙は、頬をつたって銀の上におちた。 呟いた名前は、イタリアの空から届くだろうか。
「獄寺」
ああほら、幻聴まできこえる。 俺もいい加減、重症だ。
「獄寺、獄寺」
その幻聴が。 あまりにも愛しく俺を呼ぶから。 あの別れたときそのままの声で俺をよぶから。 俺は、顔をあげた。
「やま、もと」
なんと親切な幻だろう。 声だけでなく、姿まで用意してくれるなんて。 視線をやったその先には、一年前に捨てた全てがあった。
「ゴメン、獄寺」 「何で、謝る」 「一人にして、泣かせて、ゴメン」
幻が、手を伸ばす。その手を拒む術を、俺は知らない。 大体、なんだこの幻は。 何で俺が泣いてるのが、自分のせいだと思うんだ。そんな自惚れやなところまで、この幻はそっくりじゃないか。
「獄寺、すこし、髪のびたな」
そりゃ、切りに行く暇もなかったからな。
「それで、すこし、痩せた」
一人なら、飯を喰うよりワインのほうが手軽だから。
「獄寺」
なんだよ。
「ゴメン、好きだ」
なんで、謝る。 幻の山本からのびた手は、俺の髪を探り、頬を撫で、唇にふれ。 それから壊れるほど強く、俺を抱きしめた。
「山本……?」
幻だろう。 幻のはずなのに、なぜ、こんなに熱いのか。 左手が、俺の前髪を払いのける。その薬指には、あの日すてると約束した指輪が光っていた。
「なんで……、お前が」
そこでようやく、俺は目の前の全てが現実であると理解した。 そうだ、幻であるはずがない。この指も、熱も、力も、全て。 これが幻なら、現実など必要がない。
「どうしても……、お前が好きだから」
いくら忘れようとしても。 いくら思い出にしようとしても。 全ての季節に、全て場所に獄寺がいて、忘れることができなかったと、山本はいった。
「野球は、どこでもできる」 「家族は、離れていてもまたあえる」 「でも獄寺は……、今いかないと、本当にもう二度と、俺の手の中には戻ってこないと思った」
山本は言いたいことを一人まくし立てて、最後にまた一言、好きだといった。
「何を捨てたって、お前だけは捨てられなかった」
山本の目から涙がこぼれて、俺の頬に落ちた。恐る恐る手を伸ばして髪をなでてやれば、キスが落ちてくる。 触れるだけの、まるで初めてするみたいな、幼い口付け。 それが余りにも幸福なひと時だったから、もしこれが夢だったらおれはもう生きていけないだろう。
「俺が、お前を嫌いになってたら、どうする気なんだよ」 「そんなことは、ありえないから考えなかった」
だから自惚れんなっつうの。
「ツナにも坊主にも、話はつけてきた」
煙草を吸う俺の背中にもたれかかって、山本は言葉をつむぐ。
「俺は、お前と生きていく」
すごいプロポーズだなと笑うと、奴は俺の指輪に口付けた。 それから俺の煙草を一本とって、口に銜える。
「お前と生きて、死んでいく。それが俺の、覚悟だよ」
俺の煙草と、山本の煙草が重なって、その間に灯がともる。 勝手に俺の火を奪った山本は、煙を胸の奥に吸い込んで顔をしかめた。
「苦い」 「馬鹿じゃねぇの」
俺は笑う。笑えていただろうか。泣きそうな顔を、していなければいい。
山本の唇にキスをすると煙草の味がして、俺はまた泣きそうになった。
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